2010年12月30日木曜日

真空管とSPICEで遊ぶ:6EM7のシングルアンプ

故・浅野勇氏の有名な「魅惑の真空管アンプ」の続編に、6EM7のプッシュプルアンプの製作記事が載っています。その準備として、6EM7のシングルアンプの実験回路と測定結果も載せられていますが、なかなか良い性能に見えます。類似管の6FM7でシングルアンプを作ろうか、などとも考えており、良く読んでいました。

本の付属のTINAには、中林歩氏の6EM7のモデルも入っているので、シミュレーションをしてみました。すると、ちょっと意外な感じの結果になりました。シミュレーションに用いた回路は、以下のようなものです。

出力トランスのモデルを用いると、回路制限の規模に引っかかるし、やや悩ましい部分もあるので、インダクターと抵抗を用いて、一次側だけ理想化したモデルを用いています。上記の回路図では、負荷インピーダンスを5kΩとしていますが、オリジナルの浅野氏の回路では7kΩで、他に2.5kΩの場合も試しました。

供給電圧は、オリジナルに合わせて290Vとし、他の抵抗値なども浅野氏の設計に従っています。ただし、第一ユニットのカソード抵抗の値は、記事中の回路図の1.3kΩは13kΩの間違いです。出力部の第2ユニットについては、バイアス電圧が約40Vとなり、ほぼ浅野氏の製作記事と合っています。第1ユニットの電圧増幅段については、バイアスが深く、電流をしぼった設定のせいか、いくらかズレがあります。やや電流が少なめで、バイアスは3.5Vと、一割強浅くなっています。しかし、真空管のばらつきは4割が許容差とされているそうなので、十分ばらつきの範囲内です。

電圧増幅段のゲインは約33dB、ほぼ44倍と計算されています。すると、入力電圧の振幅が1V(P-Pで2V)くらいでクリップするはずです。過渡解析で見ても、この辺までクリップしない事が観察できます。負荷インピーダンスを7kΩとすると、このとき約2.3Wの出力が得られます。しかし、これは浅野勇氏の3.5Wという出力よりも、かなり小さい結果です。また、歪み率も、ずいぶん大きくなります。一方、負荷インピーダンスを下げて、5kΩとすると、出力2.9W、2.5kΩとすると4.3Wの出力が得られます。 歪み率のグラフは、次のようになります。入力振幅1Vのクリップ直前までのデータを取っています。


はっきり分かるように、全体に歪み率は高めで2次高調波が支配的です。負荷7kΩの場合を浅野氏の測定結果のグラフと比べると、全体にかなり高めですし、2W以上の部分も測定されています。2W以上ではクリップしているはずなのですが、浅野氏の結果では、そこまで測定しているのかもしれません(その辺から、カーブが変化してて3次高調波が増えている事が伺えるグラフで、クリップしているのかもしれません)。歪み率の絶対値については、シミュレーションの不正確さかもしれません。第一ユニットのカットオフに近い部分では、モデリングより遥かに多くの歪みが発生し、打ち消しがうまく行っている可能性もあります。

しかし、何れにせよ、7kΩの負荷で3.5Wの出力は無理があるように思います。一方、負荷インピーダンスを2.5kΩまで下げると、歪み率はずっと増えますが、出力は4.3Wが得られ、出力トランスの2次側で3.5Wというのは現実的な値です。実際に、浅野氏の制作したプッシュプルのアンプでは5kΩの負荷を用いているので、4.3Wの2倍の出力で8W強が低歪みで得られる、ということで辻褄が合っているようにも見えます。もしかすると、入出力特性については、2.5kΩ負荷で測定したのかもしれません(プッシュプルアンプの実験回路としては、それが理に叶っていますし)。

というわけで、6EM7を一本だけ用いて、比較的低歪みで3.5Wの出力が得られる、というのは虫が良すぎる感じな事は分かりました。7kΩ負荷で(比較的)低歪みで出力は2W、あるいは2.5kΩ負荷で歪みは大きいけれど4Wの出力、という選択になります。もちろん、5kΩ負荷では中間的な結果になりますが、出力2.9Wでは、あまり面白くないかもしれません。

ところで、6EM7のプレート抵抗は、データシート上の値は750Ωとなっていて、浅野氏もそれを引いています。でも、上の動作点では、データシートの動作例よりも電圧が高く電流は少ないので、違った値になります。簡単なシミュレーションで計算してみると、ほぼぴったり、1kΩになります。すると、負荷インピーダンスが7kオームだとDF(ダンピングファクター)は7、2.5kΩで2.5となり、けっこう良い値です。ここは出力を望まず、7kΩか5kΩの負荷インピーダンスでシングルアンプを作ると、それなりに魅力的なアンプになるかもしれません。また、2次高調波の打ち消しが期待できるプッシュプルの方が適性がありそうな事も、よく分かるシミュレーション結果です。その場合も、負荷インピーダンスは8kΩくらいに取った方が、(無帰還なら)歪みやDFのバランスが良いような気もします。